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「人生の応援歌」を歌い続ける
水前寺清子さんがケアハウスを
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●水前寺清子…昭和39年「涙を抱いた渡り鳥」でデビュー、「いっぽんどっこの唄」100万枚突破、「三百六十五歩のマーチ」で日本レコード大賞大衆賞受賞、以後ドラマ、司会、舞台で大活躍、昨年デビュー35周年を迎えた。現在故郷熊本でお年寄りのためのケアハウス「水清庵」建設中。
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「おい、東京へみんなで行くぞ、と父が宣言したのが昭和32年の12月、寒い夜でした。父親が手広くしていた商売につまずき夜の出発、あの日の上京は正に夜逃げでしたが、子供の私にはその状況が分からず、貨物自動車の荷台から見た満天の星が歌手を夢見る私にとって、心強い味方に見えていました」とテレビ、舞台で大活躍の水前寺清子さんはデビューまでの軌跡を語る。東京では目黒油面での生活、区立四中に通う。その後アルバイトをしながら夜は音楽学校へ。コロムビアの研究生となり11曲レコーディングするが全て日の目を見ずひたすら家族の期待を一身に受けての生活が続いた。そして昭和39年、 「涙を抱いた渡り鳥」でクラウンよりデビュー、それが大ヒット。以来「いっぽんどっこの唄」100万枚「三百六十五歩のマーチ」でレコード大賞大衆賞、TBSドラマ「ありがとう」では話題をさらい56・3%の高視聴率を記録、紅白歌合戦22回連続出場、そのうち司会も4回、最近は平成八年からテレビ朝日 「ワイド・スクランブル」キャスターとしても活躍、CMでは「C.C.レモン」のコマーシャルソングが大ヒット。昨年芸能生活35周年を迎え新宿コマで初めてミュージカルにも挑戦するなど、正にエンターテイナーとなった。
その水前寺さんが今最愛のパートナーで夫である水清企画社長・小松明さんと二人三脚で故郷熊本にお年寄りのケアハウス「水清庵」を建設している。それは父母の介護体験や、長い間後援してきてくれたファンへの思いからの計画で、「両親が故郷に錦を飾る」ことも心の隅にあった。漠然と考えていた夢をご主人が「夢の設計士」のように、みごとに青写真化してくれた。私財をなげうっての計画だが「人生プラスマイナスゼロ」ですから…とご主人を見上げてにっこり。その笑顔は信頼に満ちていた。熊本を出てくる時に見上げた夜空に輝いていた満天の星は、いまでも「チーター」の心の中で輝き続け、また新たな夢に向かい頑張っている。その明るい笑顔は正に「人生の応援歌」だ。そして夢を抱いた渡り鳥は今日も歌う。 「人生はワン・ツー・パンチ、汗かきベソかき歩こうよ。あなたのつけた足跡にゃ、きれいな花が咲くでしょう」と。
抽選で三名の方にサインとスナップ写真をプレゼント。
(応募先はプレゼントインフォメーション参照)
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