新たな可能性に挑戦
猿之助一座 市川笑也さん


自由が丘きもの学院
理事長 山屋光子さん


新たな可能性に挑戦
猿之助一座 市川笑也さん


●市川笑也(えみや)…1959年4月14日生まれ。1978年 国立劇場歌舞伎俳優研修生(五期)となり、1981年猿之助一座に入門。
 1986年「ヤマトタケル」みやず姫に抜擢。以来、数々の大役をこなし名題に昇進。CMやラジオDJの経験もある。屋号は澤潟屋(おもだかや)

  

 歌舞伎に女性?と思う程の透明感のある美しさと誰にも真似できぬ聞き取りやすい声。初めて観た人をアットと驚かす市川笑也(えみや)さんの存在は今や歌舞伎界に大きな功績を残している。

 笑也さんは青森の高校を卒業後、染色に興味を持ち着物に触れる機会が多いという理由で国立劇場歌舞伎俳優研修生となる。「歌舞伎の常識で考えなさい」と言われてもその常識がないのだから最初は大変でした、と当時の様子を語るが、卒業後一年間のフリー期間を経て市川猿之助師匠の元に入門。他にはない猿之助一座の活気に魅せられたからだと言う。
 当初は持ち前の運動神経で荒技をこなし立ち廻りから馬の足まで演じたが、5年後に研修生出身としては異例の準ヒロインに大抜擢。歌舞伎界は世襲制度を重んじるため、一般出身の人がそんな大役をやるなど前代未聞。スーパー歌舞伎でのこの抜擢は歌舞伎界でも大きな話題となったが、一番驚いたのは、笑也さん自身。正にシンデレラストーリーの幕開けとなり、以後数々の大役をこなし、今やスーパー歌舞伎のヒロインと同時に猿之助一座の若手ホープとして定着している訳だが、その華やかな影には地道な努力が潜んでいる。女方の声が出なくて駒沢公園で遠くの壁に向かって毎晩練習したり、最初の頃は何度か辞めたいと思ったことがあった、とも。この仕事は好きで職人にならないと出来ない、と語る口調からは試練を乗り越えてきた静かな決意が読み取れた。普段の笑也さんは持ち前の観察力でその場の雰囲気を察知し、誰も見ていなくても気を配る女方の部分と、後輩の相談相手になったりジョークでその場を盛り上げる兄貴分的存在の二面がある。伝統という大河の流れの中でも、しっかり自分を見失わない個性が大きな魅力。梨園出身でない人を大抜擢し、不可能と言われてきたことを可能にさせた猿之助さんの挑戦と、それに答えた笑也さんの躍進は、観る人にも志す人に勇気を与えた。
  二月の春秋会では坂東玉三郎さんとダブルキャスト。四・五月のスーパー歌舞伎「新・三国志」では男装の麗人に再挑戦。猿之助さんの期待の程が伺える。猿之助さんに惚れて職人の心を持った歌舞伎俳優志望者募集中、と語る笑也さんの今後の更なる活躍に注目。