ミュージカル『ウィキッド』のサブタイトル「オズの魔法使いの知られざる話」にもあるように、
ミュージカル『ウィキッド』 はL.フランク・ボームの小説『オズの魔法使い』と
密接な関係があります。
L.フランク・ボームは1900年から14冊に渡るオズの物語を発表。
彼の死後もオズの世界は数々の執筆家によって受け継がれました。
世界のオズファンの中ではそれらも含めた約40冊が「The Famous Forty」と呼ばれ
公式なオズの話として認められています。
オズシリーズの1作品でミュージカル『ウィキッド』の原作本である
「Wicked-The Life and Times of the Wicked Witch of the West」(邦題 オズの魔女記)
の作者、グレゴリー・マグワイアもオズの魅力に取り付かれた一人でした。
少年時代のグレゴリー・マグワイアは常々『オズの魔法使い』に疑問を感じていました。
39歳になる頃、小説家として成功していたマグワイアは
少年時代に感じた疑問に対する回答を自らの手で小説にしたためたのです。
この小説は出版と同時に大ヒット。
映画化のオファーが殺到しました。
最終的に権利を取得したのは映画スター デミ・ムーアの企画会社。
ユニヴァーサル・ピクチャーズと提携して映画化を前提としたプロジェクトが始まりました。
ミュージカル『ウィキッド』の生みの親とも言えるプロデューサーのマーク・プラットが
ユニヴァーサル・ピクチャーズの制作部門の社長になった時、
デミ・ムーアのための映画として脚本化されていました。
彼は小説のエスプリを上手く脚本化できればヒット映画になると考えていましたが、
出来上がったものはどれも何かが足りませんでした。
それでも引き続き脚本作りの試行錯誤が繰り返されていました。
同じ頃、『ウィキッド』 誕生を支える作詞・作曲のスティーヴン・シュワルツと脚本の
ウィニー・ホルツマンもまったく共通点のない別々の場所で小説「オズの魔女記」に出会い
「この小説は素晴らしいエンターテインメントになる」と考えていました。
1997年、この小説の権利に興味を持って調べていたスティーヴン・シュワルツは
ついにマーク・プラットに行き着きます。シュワルツはプラットに「この小説は映画には向かない。
ブロードウェイ向けのミュージカルにするべきだ」という提案をします。
プラットも「これこそ脚本に欠けていたものだ」と閃き
シュワルツの勧めもありウィニー・ホルツマンに台本を依頼します。
こうして『ウィキッド』はミュージカルとして誕生することになりました。
2003年10月30日〜 アメリカ ブロードウェイ公演(ガーシュイン劇場)初演。
アメリカ各地やイギリスでも上演され、観客の熱狂的な支持を受けています。
劇団四季による『ウィキッド』上演権の交渉は、オリジナルプロダクションが
ブロードウェイで開幕した半年後くらいから本格的に始まりました。
劇団四季による上演が決まり、
非英語圏で完全な形での上演は初めてのことになります。
キャストは座内オーディションで選ばれ、プロダクションスタッフを
招いての稽古も行われました。
電通四季劇場[海]にも大掛かりな装置が組まれ、
『ウィキッド』の世界観を作り出しています。
作品テーマはいくつもあり、それがたくみに絡みあっているのが特徴です。
真実とは何か・・・見方を変えれば違った一面が現れるのではないかという
重いテーマがある一方で、グリンダとエルファバの2人の
女の子たちによる友情もクローズアップされています。
観る人それぞれが感じられる作品、
それが『ウィキッド』なのではないかと思います。